死の淵を見た男/門田隆将
せんなん堂です。
復興が進められていますが、さまざまな要因で人々の思うようには進んでいないように思います。
多くの人が被災者となったので、多種多様な事情や想いがあり、同じ事でもそれぞれの受け止め方が違ってくるし、さらには、これが被災者とそうではない人では、もっと違い、そのために軋轢も生じる、今ニュースに取り上げられる問題は、なかなか単純な話ではないのでしょう。
今回の本は、大地震発生時から、原子炉が制御できない状態になり、事故に至るまでの福島第一原発での出来事を、関係者からの証言をもとに構成されています。
後に亡くなった吉田昌郎所長を中心に、刻々と状況が悪化し、時に絶望的な状況から、必死に対応していく現場が記されています。
現場対応だけでなく、東京電力本店の重役たちや政府関係者などとの緊迫したやりとりも書かれています。
関係者のほとんどが、心身ともにギリギリの状態であったことがわかります。
私は、この本を2013年に読みました。
読んで、背筋がゾっとする思いがしました。
それにしても、よくぞ踏みとどまってくれた、と。
現場で決死の覚悟で作業した人々の努力が非常に大きいですが、制御不能となった原子炉を安定化させることができたのは、運も味方してくれたように思います。
原発の周辺に暮らしていた人たちは大きな被害にあったので、良かったと表現するのは不謹慎ではありますが、ここで踏みとどまってくれて良かった。
もっと広域で避難しなけければならない状況も、十分にあり得たし、大げさに言えば、日本という国が消滅した可能性もあったのではないでしょうか。
3・11に起こった出来事に対して、あらゆる方面からの検証、反省は必要で、そこは冷静に、科学的に議論されなければなりませんが、今、何よりも考えなければいけないのは、原発事故の後処理、つまり福島原発の廃炉だと思います。
これは、新卒社会人が入社して廃炉プロジェクトに取り組み、定年まで勤めあげても、なお完成を見ないことを意味しています。
そして、廃炉と賠償を合わせた費用が21.5兆円。
非常に大きなプロジェクトです。
廃炉という名の事故処理は、ネガティブな活動のように見えます。
でも、これを将来の希望につなげることはできないのでしょうか。
廃炉技術を高めることで、人類が原子力を安全に片づける方法を確立していく。
廃炉に関係する事柄は、原子力工学だけでなく、様々な分野、領域の技術が関係しているように見えます。
廃炉の方法を考えるうえで、炉心溶融した原子炉内がどうなっているのかを知ることは重要ですが、放射線量が高く、誰も近づけないので、原子炉内部の状況ははっきりしない、といいます。
そこで、人が近づけない場所を可視化し、作業を可能にする、ロボット技術が期待されています。
良い性能のロボットができれば、作業の作戦がうまく立てられるかもしれません。
1日約300トンの地下水が原子炉建屋に流れ込み、汚染水が増えていっていると報道されています。
地下水の研究や、地下水をコントロールする技術、原子炉への地下水の流入を防ぐ技術(凍結壁に挑戦していますね)、今よりもさらに効率よく汚染水を無害にする技術などが進歩すれば、問題が解決し、廃炉のスピードが上がるのかもしれません。
このように、福島の廃炉に関係する様々な分野の研究、技術の発展に、国を揚げて取り組むべきだと思います。
科学の限界のために、現状、できないことが多くあるのだと思いますが、その克服のために研究を行い、限界を超えていくのが進歩であり、これまでも、これからも人間は進歩すると信じたいです。
不幸にして、非常に困難な廃炉作業というものに取り組まなければならなくなったからには、この困難に対して、日本の総力戦で、ときには世界の力を借りて、立ち向かう必要があるでしょう。
ただの精神論だけでなく、確立した廃炉技術で世界をリードし、利益を上げられるようにすることも念頭に置くべくでしょう。
そうして、原発事故とその処理というネガティブにみえるものを、将来の世代に残せる財産に変えられるように、戦略的に考え、行動する、これが、今の世代がやるべきことなのかもしれません。
電気料金に上乗せするにせよ、国税を投入するにせよ、結局は、広く国民が負担しなければ廃炉は進まないように思えます。
どうせ負担するなら、”将来への投資”という形で納得したい、というのが一電気利用者、一納税者の想いです。
(参考)廃炉プロジェクト|東京電力