日曜作曲家
今日は、ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)について紹介します。
ずいぶんマイナーなところにいったと思われますが、理由があります。
私は、有機化学関係の仕事をしているので、以前からボロディンには興味がありました。
ボロディンは、当時のロシア、サンクトペテルブルクにあった内科・外科アカデミー*1化学教室の教授でした。ロシア化学会でも重鎮だったようで、化学者としての業績も素晴らしいものがあります。
専門的なことになりますが、アルデヒドというある共通の構造をもった化合物同士て反応が起こる、アルドール縮合の研究を長い間やっていました。残念ながら、当時のロシアは化学後進国。ヨーロッパのドイツ、フランス、イタリアあたりが先進国であり、このアルドール縮合も、当初は、フランスのアドルフ・ヴュルツという人が発見者ということになっていました。
化学反応の発見のような化学的な業績は、査読付きの科学論文で広く認知されるため、当時、ロシアで活動していたボロディンの業績は知られなかったのでしょう。
いまでは、ボロディンも発見者として広く知られているようです。
アルドール縮合だけでなく、ボロディン反応*2という、自身の名前の入った化学反応もあります。有機化学者にとって、自分の名前の付いた化学反応があるのは大変名誉なことです。
もう一つ、ボロディンは教育者として、ロシアでの女子教育に貢献したというところです。1870年代に女子医科大学の設立に向け奔走します。
化学者、教育者として活躍していたボロディン。当然多忙で時間がありません。音楽活動は、小さいころからやっていて、ヨーロッパ留学時代に受けた影響や、ロシアに戻ってからのいわゆる「五人組」*3という音楽家との交流がありましたが、恩師の”化学に注力しろ”という教えを守り、作曲活動はあまりしなかったようです。まあ、時間がなくてできなかったのでしょう。
自らを日曜大工ならぬ、「日曜作曲家」と称していたとも伝えられています。また、54才で急死してしまったことから、残した作曲数も少ないのですが、3つの交響曲(1曲未完)、2曲の弦楽四重奏曲、オペラ『イーゴリ公』(未完)、交響詩中央アジアの草原にて、など素晴らしい音楽を残しています。
特に『イーゴリ公』のダッタン人の踊りは、名曲です。CMなどに使われたこともあり、前半部分のメロディーは有名です。交響曲第2番もいいですね。
恩師の言葉を聞かず、作曲一本でいっていたら、いい曲をもっとたくさん残していたのか?
音楽を捨てていたら、化学者、教育者としての業績がもっと残せたのか?
両方やったから素晴らしい音楽が残せ、化学者としての業績も残せたのではないでしょうか。
この記事は主に以下の本を参考にして作成しました。
ボロディンーその作品と生涯
ゾーリナ著(佐藤靖彦訳)
新読書社
*1:サンクトペテルブルク大学医学部、サンクトペテルブルク医科大学としている場合もあるようですが、翻訳の仕方の違いや、現在の名称に置き換えたからだと思いますが、とにかくロシアの名門大学
*2:ハンスディーカー反応のこと。ハンスディーカー反応 - Wikipedia