ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
せんなん堂です。
昔、本で読んだのか、TV番組で聞いたのか、忘れたのですが、リムスキー=コルサコフ(以下、R=コルサコフ)とラヴェルは仲が悪かった、というのです。
ともに、オーケストレーションのすばらしさに定評があり、『魔術師』と評されます。
R=コルサコフは、『シェエラザード』などの曲を書いたロシア国民楽派の作曲家で、1884年生、1908年没。
一方の、ラヴェルは、『ボレロ』などの曲を残したフランス印象派*1の作曲家で、1875年生、1937年没。
音楽活動期は重なるようですが、R=コルサコフのほうが、だいぶ先輩です。
現に、ラヴェルの初期の作品は、R=コルサコフに影響されている、というのです。
先に書きました”不仲説”の根拠が、ムソルグスキー*2の『展覧会の絵』のオーケストラ編曲です。
この曲は、ラヴェルが編曲したものが有名です。
しかし、R=コルサコフ編曲版というものがあります。
ムソルグスキー 『展覧会の絵』 【編=R・コルサコフ版】アンドレーエ/N響
これは、ラヴェル版よりも30年以上前に発表されています。
出だしのところが弦楽でそのあと金管が続きます。
ラヴェル版とはまったくの逆なんですね。
ラヴェルは、R=コルサコフ編曲に対抗して、逆の構成で編曲したという、これが”不仲説”の根拠だというのです。
しかし、より深く調べてみると、このR=コルサコフ版は、R=コルサコフが編曲したのではなく、弟子のミハイル・トゥシュマロフ*3という夭逝したロシアの音楽家によるもので、R=コルサコフがその編曲に手を加えたかどうかはわからないのだが、もともと、ムソルグスキーの残したピアノ組曲『展覧会の絵』に手を加えて世に出したのは、R=コルサコフですので、彼が編曲したことになったという混乱が起こったのでしょう。
今は、トゥシュマロフ版、もしくは、トゥシュマロフおよびR=コルサコフ版となっているようです。
ラヴェルも、後ろにR=コルサコフがいたかもしれないけど、無名の音楽家の編曲よりは、自分のほうがよっぽどいいと思って、一見挑発的な構成にしたとしても不思議はないと思います。
と、”不仲説”はウソ、で一件落着かと思ったのですが、ラヴェルは、『シェエラザード』という名の曲を残しているのです。
R=コルサコフが、交響組曲『シェエラザード』を世に出した10年後の1898年、千一夜物語をオペラにするつもりで、序曲『シェエラザード』を書き上げました。
Maurice Ravel - Shéhérazade, ouverture de féerie
しかし、初演は不評で、もう二度と『シェエラザード』をやるもんか!とまで思ったらしいのですが・・・。
その後、歌曲集として『シェエラザード』を書きあげます。(1904年)
Ravel: Shéhérazade ∙ Christiane Karg ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Stanisław Skrowaczewski
そして、R=コルサコフが亡くなった後の1922年に、『展覧会の絵』のオーケストラ編曲版を世に出します。
真実はわかりませんが、ラヴェルは、R=コルサコフをかなり意識していたのだろうと思います。
それは、リスペクトかもしれないし、ライバル視をしたということなのでしょう。
『シェエラザード』で、一度は不評でも、もう一度トライし、その後『展覧会の絵』でリベンジをしているあたり、執念深さも感じますが・・・。
最後に、ムソルグスキーの残したピアノの組曲『展覧会の絵』ですが、R=コルサコフは善意であったのですが、かなり手を加えてしまい、ムソルグスキーの意図していたものとは違う、とのちに解釈され、今は、ピアノは原曲版で演奏されるそうです。
ロシアのゴツゴツ感が前面に出た、ラヴェル編曲のような洗練な感じはないですが、良い演奏です。