せんなん堂主人 日々の思うこと

読書、音楽、TV映画鑑賞から感じたこと、思うこと

戦国の異端児

TVゲームで「信長の野望」というのがありますね。

私は一時期、「信長の野望・創造 戦国立志伝」にはまっていました。

ただ、元来ゲームのセンスが悪く、あまりうまく進めることができないのと、だんだん飽きてしまって、止めてしまいます。それでも半年ぐらいはやりましたね。

 

で、このようなゲームは、全国の戦国大名が「天下に号令する」ことを目指して、他の大名と戦っていくことになっています。

でも、実際の戦国時代はそうでもなかったらしいのです。

どの本だったかは定かではないのですが、東京大学史料編纂所教授の本郷和人*1

さんの本で読んだように思います。

 

つまり、戦国大名は、力のなくなった守護大名にとって代わって、その地域を治めることしか考えていなかったようなのです。例えば、北条氏なら関東、毛利氏なら中国地方の支配権が手に入れば、とりあえずはよかったのです。

天下を治めるのは帝。

帝が指名した人物が代わりに政治をするのが常識だったのです。

ただ、その時代に、ちと違うことを考えている人物が尾張にいました。

 

織田信長ですね。

織田信長の出自は、尾張守護代・織田大和守家の三家老の一つである織田弾正忠家で、守護大名の家臣の家老の家の生まれ。信長の父信秀は、知略と経済力でメキメキ頭角を現しましたが、結局は守護大名の家来の家来どまり。

そのあとを継いだ信長は、瞬く間に織田大和守家だけでなく、織田伊勢守家も討ち果たし、尾張を統一してしまいました。

それだけでなく、舅斎藤道三がかつて支配していた美濃まで取ってしまった!

 

普通はそこで満足するところを、信長はそうは考えなかった。

自分が天下を納める、と。

なので次々を他の地域を支配している大名を排除していく・・・。

これが、当時の日本ではありえない考え方だった・・・。

 

そんな異端児が出てきてしまうと、周囲の大名には迷惑な話で、北陸の朝倉、上杉、四国の長曾我部、中国の毛利なんかは焦ったことでしょうね。朝倉は潰されましたが、上杉、長曾我部は寸でのところで、本能寺の変で助かりましたが。

 

三河の松平元康は、今川の家臣で終わったか、せいぜい三河の大名で終わったところが、隣に信長がいたがために、人生が変わってしまいました。元康のちの徳川家康のことは、また別に取り上げます。

 

脱線しましたが、信長という異端児が現れたからこそ、応仁の乱以降の戦乱の世がおさまり、「パクス・トクガワーナ」と呼ばれる太平の世が日本に訪れたのかもしれませんんね。