アイブス 交響曲第2番
今回は、アメリカの現代作曲家チャールズ・アイヴス(1874-1954)と彼の作曲した交響曲第2番を紹介します。
前回、ロシアの作曲家ボロディンを紹介しましたが、アイヴスも本職は音楽家というわけではないようでした。
アイヴス*1は、1894年にコネチカット州に生まれます。父ジョージは、南北戦争時の合衆国陸軍のbandleaderだったこともあり、小さいころから音楽に親しんでいたようです。
1894年にイェール大学に入学、ホレイショ・パーカー*2に師事。
ここからがちょっと違うのですが、自分の音楽の理想を追求すると、生活ができないので、音楽家で食っていくことはせず、保険会社に入社します。その時に
『不協和音で餓死するのは御免だ!』
と言ったとか。
その後、会社はいくつか代わるのですが、1907年に知人と保険会社を立ち上げ、副社長として保険業界で成功を修めます。
しかし、その間まったく作曲しなかったわけではなく、多忙な仕事の合間に、精力的に自分理想を追い求め、前衛的な作品を生み続けます。しかし、”素人作曲家”である彼の作品は、当時の音楽界からは評価されませんでした。難しすぎて、誰も理解できなかったともいわれています。
評価され始めたのが、晩年~死後ですが、存命中のアイヴスは、そんなことはあまり気にしていなかったように思います。
ビジネスでの成功があったからでしょうね。
交響曲第2番は、1902年ですから20代後半に作曲されました。調性が保たれていて、普通に聞くことができます。このシンフォニーは、彼がこれまで聞いてきた音楽、それは偉大なベートーヴェンやブラームスのドイツ音楽であったり、小さいころから身近に聞いていた讃美歌やブラスバンドの曲などであったり、そのようなものが織り交ぜられた音楽へのオマージュ作品です。
最終楽章では、米作曲家フォスターの草競馬*3のフレーズが何度も現れます。
そして曲の最後の最後に仕掛けが・・・。アイヴスがちょっと皮肉屋のユーモアのセンスがある人物だったことが想像されます。音楽界なんてなんぼのもんじゃい!と。
交響曲第2番が初演されたのは、作曲されてから半世紀も経った1951年。バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルの定期演奏会だったそうです。アイヴスの曲の素晴らしさを見出したバーンスタインは、77歳になったアイブスを初演に招いたのですが、彼は固辞します。ただ、家のラジオで中継放送を聞き、小躍りして喜んだそうです。
交響曲とともに収録されている曲は、ザ・現代音楽です。私はちゃんと聞いたことがありません。
この記事は、上記CDについての三浦淳史氏の解説などを参考に作成しました。